| 先日「郷陽さん」の日本刺繍の修理で(株)吉徳様よりお預かりしていたお着物ができあがり小林先生はじめ三名の方々が着物のお受け取りと着つけのために「郷陽さん」と共にご来館になられました。 そのときにご鑑定頂き作者不明であったお人形の作者がやっと判明しましたのでご紹介致します。 自由人形 男女ペア ![]() 作者:樫村瑞観(明治36年生〜平成7年) 二代光龍斎 門下(父安太郎は初代光龍斎門下)。12歳頃から父親の元で木彫から始め、24歳のときに答礼人形に入選。 幼人形の創始者とされ、市松人形ではご覧のように「きいちの塗り絵」のようなお顔の作風だったようです。昭和9年には原米州、川上南圃、野口明豊、平田陽光、と5人合作で皇太子(現天皇)の初節句に献上人形の創作などされました。浅草雷門の前に自宅工房があったようです。 市松人形 ![]() 作者:野口明豊(明治26年〜昭和53年) 17歳で二代、大豊軒東玉、斎木実に弟子入り。二代死去の為、二代の姉が嫁いでいた生き人形師、三代亀八に師事する。 三代亀八は初代郷陽の師でもあり生人形の名人と謳われ全国各地にて生人形展を開催、渋谷に500坪の豪邸を構えるほど繁盛していました。したがって野口明豊の作風も生人形系であり、当初当館にて入手いたしました時も「郷陽」作と考えておりました。師が同じですから作風も似ていますね。その後野口明豊は昭和11年第一回帝展に作品「幼女」で二代郷陽らと六人で入選、人形を芸術の領域に引き上げる最初の礎となりました。 昭和10年には訪仏人形大使として三尺八寸(114Cm)大型でスマートな市松人形を製作、パリにおくられています。 余談ですが東玉は巣鴨の染井霊園に眠っており、また西巣鴨にありました東洋大系の帝国小学校では戦前、人形供養や人形病院などを盛んにやっていました。人形は人を呼ぶと申しますが当館を巣鴨に開きましたご縁もお人形に呼ばれたのかもしれませんね。 |