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市松人形館
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市松人形の由来

江戸、徳川吉宗の時代に実在した佐野川市松という上方の歌舞伎役者が江戸中村座で演じた「心中万年草」の女形で大変人気を取りました。その佐野川市松に似せて作られた人形が市松人形の起こりと言われております。あるいはその時佐野川が着た紺と白の石畳模様の衣装(市松模様)を着せた人形をその様に呼ぶようになったとも言われております。当時は女性だけでなくお金持ちの大人の男性が着せ替え人形遊びとして楽しんだとも言われております。今のフィギュアのようなものでしょうか。その後人に似せるために関節を持った人形なども作られ(三つ折れ)上手のものになると家一軒ほどのお値段もしたといわれます。

その後明治大正と人形関連業者はほぼ京都と東京に集中し盛んに作られています。市松人形がいっきに有名になったのは昭和2年に「日本のお雛祭りにいっしょ飾って下さい」とアメリカから送られてきた友情人形12、739体のお礼にと市松人形58体をアメリカの各都市におくったことがきっかけでした。対立を深め大戦へとひた走る両国関係を憂えた両国の一般市民が中心になって進められ時の文部省や経済界なども参加した一大事業でした。

結果としてその想いはむくわれることはありませんでしたが、このときアメリカに贈る市松人形の一大コンテストがおこなわれました。そしてこのコンテストで活躍した人形師たちが市松の巨匠と言われ今に至っております。残念なことにその後大量生産に適さない手作りの市松人形は市場から減少しかつての名作も経年からくるヒビ欠け破損や汚れなどで本当にきれいなままの古い市松人形は大変貴重な物となってしまいました。現在の人形店で販売されている石膏かたどり木目込みの市松人形とことなり、一体一体が手で作られそれぞれに異なった表情を持つ着せ替え市松人形は今では骨董業者とマニアの方くらいにしか目にする事ができなくなってしまいましたことは残念なことと言わざるをえません


                                                 三代目 佐野川市松

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